神様

sumikko2005-03-19

今朝はアボカドを持ってきてくれた宅急便で目が覚めました。
大量のアボカド。
昔どこかの懸賞に応募したらしいです。
わーいわーいわーい。アボカド好きだから・・・・。


26年も生きているとそれなりに何回か修羅場というものを経験するわけだけど、修羅場というのは自分が修羅であるときには、これが修羅場だわと認識している余裕はないし、修羅の猛威に曝されているときには意外に冷静でやっぱり修羅場だと認識するにいたらない。後で思い返してみて、ああ、あれが修羅場だったのね、と思い返すものなんですね、修羅場というのは。意外と趣深いものですね。


昨夜はその美少年に恋いこがれて思い詰めてしまった女の子が修羅となってやってきた。大泣きして、荒れ狂って、罵声を発して、大変なことになっていた。同じく恋する女の子として、彼女の気持ちは痛いほど分かる。どうにかしてあげたいけど、私の思いやりなんて彼女にとっては白々しい限りだろう。せめて私は、この自己中男がかわしてきた分だけ、私が受け止めてあげようと思う。思い切り喚いてもいいよ。「愛してる!!!」。私だって喚きたいよ。でも喚いた末に何もないことを知ってるの。せめて「お前の顔なんて二度とみたくない」と言ってくれれば楽なのにね。そんな嘘どころか自己中で弱い男は屈託もなく言い放つ。「君のことも好きだよ」。なんて残酷なこと。本当に残酷なこと。でもそれも本当なのよ。あなたのことも好き。別の女のことも好き。愛情の違いなのよ。そんなこと、私に言われなくても分かってるよね。私の、「ごめんね」は不愉快だろう。「かわいそうに」はもっと不愉快だろう。だから黙って、見つめている。彼女が何を要求するのか、待っている。私にできることならなんでもしよう。目の前から消えて、というのなら、私はさっさと家に帰るけど。でも、ひどいよー。私にむかって「年増」はないよー。たしかにあなたよりも5歳年上だけど、21歳で年増なんて言葉が出てくる子の方が年増だよーって言い返したかったけど、それで彼女の苦しみが半減するわけじゃないから、言わない。
やがて彼女は去って、美少年と私はモルツを飲む。テイクアウトのお好み焼きを食べる。気がつくと、私の腕に落書きを始めている美少年に向かって「女の子を泣かせちゃだめだよ」と言ってみる。彼は「うん」と頷いたけれど、何も、何も分かってないだろう。

帰宅して、それなりにぐったりして、シャワーを浴びる。熱いお湯にほっとする。ふと腕を見ると、彼の落書きが滲んで、流れていく。そして今頃、どこかで傷ついて泣いている女の子のことを思う。


あの予感におびえた。
それは唐突にやってくる。

私に触れる唇が、不快。
顔を背けた私の機嫌を伺うように、私の横髪をかきあげるその指が、不快。
いつものように私が笑って許すだろうという確信に満ちた強引な抱擁が、不快。


それは、他の女と重ねた唇。他の女の髪をかきあげた指先。他の女を引き寄せた腕。
一瞬にして、「崇高な愛」は嫌悪感に変わり、私は、その人に触れられた自分の体が腐っていくような気がする。いつもの饒舌が、蚊の羽音のように鬱陶しい。
そんなこと、承知の上だったはず。でも、あらがえない、あの嫌悪には。
おそれているのは私の狭量。いつもはどこかに潜んでいる、嫉妬が急にやってきて、全てを壊していく瞬間。
膝ががたがたと震えている。
今、どこかで、別の誰かと私のことを思い出しもせずに生きている、あの人のことを思う。その人に対して、そんな感情が現れないことを、祈る。どうか、神様。どうか。

シンデレラ

昨日は、キレイで元気になろうとmacadiaをひたすら飲んだ。と、いうかmacadia以外は、氷結とカシス、ライチ、ストロベリーリキュールしかなく、ワインはフランジアという非常に惨めな状態だったので、いたしかたなくmacadiaを飲んでいた。食事も、「冷凍野菜の盛り合わせ」や「ゴムみたいなチーズのクリスピーピザ」や、「ポパイも萎えるほうれん草とコーンのバター炒め」みたいなものしかなく、食べられた代物ではなかったため、空腹にmacadiaソーダ割りとかオレンジジュース割を飲んでいたので、今朝は体調が悪い。お腹の中央がずっしり重い感じ。キレイなどころか元気ですらなくなってしまった。
このところ、今更ながら「美味しいもの」を追い求める姿に醜悪なものを感じて、自分の仕事に嫌気がさしたりもしていたが、まずいものが存在するのには心底疲れてしまう。食べたものが美味しいもの、という全うな世界に、どうして生きられないのかしら。

昨日は六本木ヴァージンシネマズにて成瀬巳喜男の「乱れ雲」を観た。すばらしかったです。森光子、いいですね。美人ではないがとてもチャーミング。「浮雲」を見逃したのは口惜しい限りだが、まあこれはまたどこかで観る機会があろう。これからの8本は全部観に行こうと思う。しかし朝10時半から1回きりというのは辛い。休みの日にそんなに早く起きられるわけないから、仕事をさぼって見に行くしかない。困ったわ。

先日、自分で「複製時代の芸術」と言っておきながら、それが誰の言葉かすら知らなかった無知な私。もう恥ずかしくて、これからはやっぱり本について書くのはやめよう。

ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)

ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)

人生で、一番本を読んだのは、21歳の秋のこと。唐突に好きになって告白してふられてから1ヶ月ちょっとの間、大学にもバイトにも行かず、友達とも会わず、携帯の電源も電話線も切ってひたすら本を読んで映画を観ていた。たくさんの本や映画を消費したが、五感の中で唯一生きていたのは聴覚だけで、ごろりと寝転がったベッドで目を閉じたら、秋の雨の音がした。あの頃の読書が身になっているかというと、あまり実りあるものではなかったと思う。とにかく「動物のように」読んでいた。でも、一番小説を欲していた頃だ。今でも人が本当に小説を欲するのは、そこに救いを、教えを、答えを求めるときだと信じている。文学者は、文学者に向けてしか書いていないなんてそんなこと知らないわ、と思う。でも。
その人の教えてくれる世界はとても魅力的。君の日常感覚という尺度だけで読んで何が楽しいのか?その人は私にそう問った。そして私の不真面目を叱った。私の思考停止状態を。私は、感覚でしかものを語れない。だから語らない。その感覚すら怪しい。なんの力も持たない私の言葉。だから泣くしかなくなって、そんな涙に説得力はない。気が向いたときだけ教えてくれる、その人の講義は私の人生の中でとても貴重な瞬間で、私は優秀な生徒ではないけれど、その人の教え子の中では一番真面目な生徒なはず。
それでも、基本的な姿勢は21歳の秋となんら変わっていない、とも思う。私は、やっぱり、救いを求める。教えを求める。答えを求める。
愛されるためにできる私のすべて。
凡庸な、26歳の女。これほど退屈な人生があるかしら。
わからない。わからないからやっぱり、本を読もう。考えよう。残酷な結末しか待ち受けていない物語。でも「小説に物語を求める」のは「間違い」らしい。大切なのは今、この世界でどう表現するかであって。幸せな物語を求めているなら永遠にシンデレラでも読んでおけば?
残酷な、結末でもかまわない。今、この瞬間、私がどうあるかが問題であって。

身勝手

今朝はKanye Westを聴きながら出勤。「We Don't Care」が好き。何十回も繰り返し聴いてしまう。
KID SING! KID SING!!
好きと言えば最近小豆にはまっていて、恵比寿三越の「生活職人」で北海道産の乾燥小豆を大量に購入しては煮て、少しだけ黒糖をかけたり、時には豆乳などをかけて朝ごはんとか夜ごはんとかに食べてる。シャトルシェフ欲しいなー。





これがあれば、今みたいにことことことことほうろうの鍋でひたすら煮なくても、朝セットしてでかければ、帰宅した頃にはふっくらと美味しい小豆が煮上がっていることでしょう。でもすぐに小豆にも飽きるかも。熱中すると突っ走ってしまう傾向があり、若かりし頃(と言っても成人してからだけど)黒ごまクリームにどっぷりはまって抜け出せなくなったことがある。Always 黒ごまクリーム。黒ごまクリームLove。その熱愛ぶりを見ていた大人が、「カラオケもセックスも黒ごまクリームもほどほどにしないと飽きるだろう」と言ったけど、そうね。カラオケ以外は飽きたわね。

昨夜は六本木にあるおっしゃれーなヴェトナムレストランで合コン。いやいやいやいやいやいやいや。かつてないほどそこはかとなくおもしろい合コンでした。相手の年齢は28歳から35歳というまさに適齢期(ていうのも微妙だが)。男の人同士で会社のこととか内輪ネタを話しはじめてしまうとか、それだけはやっちゃいけないよーて感じのことを全部やってくれたので、私は笑いが止まらない。いい人たちだったんだけどねー。不器用で、哀しいほど純情に見えた。私の「純粋な愛情」はさぞ屈折して映ったことだろう。サービス精神のつもりだったんだけどな。驚かせてしまったなら、反省。
私は一瞬にして、その匂いで、風で、その人が恋の対象かそうでないか決めてしまう。匂いが好きならば、知り合う必要もない。匂いが好きならば、些細なことはすべて許せる。それはもう20代も後半になるとそれまでの人生で培われてしまったもの。「男は教育すればいい」ともいうけれど、とりあえず私は自分が最大限かわいくあるために必死なんで(あー努力実ってないなー)相手を教育してる場合じゃないんだよね。あ、でもこの余裕のなさはだめね。かっこよくない。でもあんまり余裕に満ち溢れていてもかわいくない。ううむ。26歳の女の子がかわいくあるのはなかなか大変です。かわいいおばあちゃんになりたい、という夢を語る女がいるが、それは結構簡単じゃないか?おばあちゃんとしてかわいくあればいいわけで。いやわかんないけどね。おばあちゃんになったことはないから。とりあえず私は今かわいくあることの方が重要。さておき、「教育派」の女こそが着々と結婚していっているワケで、もし結婚を望むなら「教育派」に転じればいいわけね、とちょっと悟った。実りない合コンではなかった。
それにしても、何を求めてるんだろうね。あの殿方たちは。かわいい奥さんなのかしらね。将来介護してくれる人かしらね。それも含めた「人生の伴侶」てことかしらね。ひとりで生きていくのは寂しいものね。でもそれは全うな願いなのかしらね。「人生で君ほど愛した人はいない」と別の女と結婚する前夜に言い放った男がいた。私を死ぬほど愛してくれた男の(いやそこまでは言われていないけど)交際の申し込みを断ったら「わかった。思い出に一回だけやらせて」と言った男がいた。「10万円くれたら付き合ってやる」と言った男がいた。私にはそれらと、「人生の伴侶」を求める身勝手のレベルの違いがわからない。わからない。わからない。
店をでて、六本木の交差点から乃木坂の駅へ向かう。もうちょっと前に千代田線を利用することを知っておけば、私は何度六本木で終電を逃したと思い込んで朝まで飲まずに済んだか。それにしても乃木坂の駅の入り口は怖い。廃墟みたい。この地下鉄の入り口に侵入するのはちょっと怖い。少し喧噪から離れれば、こんなにも寂れた地下鉄が走っている。廃れて。うらぶれて。なんとなく、ほっとしたりしてね。

夜半

夜半、私の睡眠期が突如として終わり、3時過ぎに目が覚めた。眠気の気配は微塵もないので、朝まで本を読む。たぶんこれから2週間程度は活動期。体調も肌の調子も良くなり、睡眠時間も5時間もあれば平気なはず。
この週末も寝倒してしまった。一日12時間は眠った。昨日は、晴れ、曇り、雪、夕焼けがフルコースで味わえる一日だった。久しぶりにデュマゴでランチを食べて、だらだらお茶を飲んで、文化村の中にある本屋を冷やかしたらもう夕暮れ。東急本店から、渋谷駅の方向を見渡すと、曇り空にはいつも虹がかかっているような気がする。昔むかし、どこかのばか男がデートを寝過ごしてすっぽかしたときに、泣きながら見上げた空にそれはそれは完璧な虹が、しかもダブルで架かかっていたから。ああ、あんなことで泣いた時期もあったのね。ふあーあ。
眠くなったので、家に帰ることにした。帰りにビデオを返してビデオを借りる。

フリーダ DTS特別版 [DVD]

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私は芸術家モノが大好きなんで(とくに天才美少年モノはたまらん)、これも結構楽しめました。芸術家といえど、女はどこまでも女。哀しいほど女。非常に分かりやすくていい映画でした。フリーダの眉毛のつながり具合もよし。

夜半、あまりにも快適に目覚めて、買い物に行きたくなった。春の口紅が欲しい。新しいチークと、アイシャドウも。春の色!春の色!!もう12時間早くこういう気分になれれば良かったのにな。
昨日買ってきた本をぺらぺらめくってもあまり心に響かない。本棚を漁ってふと手にとったのは、「近代日本の批評」。

近代日本の批評1 昭和篇(上) (講談社文芸文庫)

近代日本の批評1 昭和篇(上) (講談社文芸文庫)


あの人が、「君は近代も知らないのか」と私を罵倒してからもう1年以上たつ。そして勧めてくれた本がこれ。一度読みかけて、挫折した。未だに私は近代も知らない。何気なく、読み始めてやがて夢中で読んでしまって、気がついたら朝のランニングのアスファルトの音が聞こえるころ。前半の「複製技術時代」という言葉が気になった。それでは、外国語が堪能な、というよりむしろ外国語の中で活躍している現代の作家はどうだろうと思って、少し前に買った、多和田葉子を読み始める。そんな感じで朝。一週間のはじまり。


エクソフォニー-母語の外へ出る旅-

エクソフォニー-母語の外へ出る旅-

ハバネロゲット

sumikko2005-03-13

id:mashijunさま
本日、ロフトに行きましたら、ハバネロ栽培キット山積みでした。売り切れたらやだったので早速買っちゃいました。で、箱の裏を見ますと「種をまく時期は5〜7月厳守じゃ」とハバネロさんが仰ってるんで、はやる気持ちを抑えて五月の到来を待ってます。今年の夏はHotな予感だぜ。



誰かと飲んでると、ろれつが回らなくなったり、相槌がおかしくなってきたりして、酔っぱらってる自分に気づくんですが、家で一人で飲んでると、酔っぱらってるって気づいた頃には、手遅れなんです。立ち上がれないほど、ぐだぐだに酔っぱらってるんです。朝起きて、私が飲んだ痕跡をみて、それは驚きましたとも。

ドメーヌ・グロ・フレール・エ・セール・ヴォーヌ・ロマネ 1997 1本
以前購入してたもの。それはそれはそれはそれは旨かったです。深みのある味わい。ダークチェリーのような香り。時がたつにつれ、香りがたって至福のひととき。エリック・ドルフィーを聴きながら。
その後、ポール・ジロー(コニャック)ブランデーグラス2or3杯
サントリーピュアモルトウィスキー樽出原酒酒精58度 グラスに2or3杯
ガリアーノソーダ1杯(箸休めに)
コアントローオンザロック)1杯
そして、ボトルに3分の1ほど残っていたボンベイサファイヤ全部。

一体何がそんなに辛かったの?わたし。いや。久しぶりにいいのみっぷりでした。

今日ジュンク堂に行ったら、ジュンクカード会員募集やってて、申し込んだら2000円のジュンク堂で使える商品券をくれたよ。1000円はその場でくれて、もう1000円は後から郵送だって。で、調子にのって買った本たち。あ、白水社ばっか。おやすみなさーい。

ルネサンス―美術と詩の研究 (白水uブックス)

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中世イタリア絵画 (文庫クセジュ (850))

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絵画の見かた (白水Uブックス)

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