ガムラン

sumikko2005-02-20

どれくらい汚い部屋なのか見てみたいな、てせめてもうちょっとロマンティックに誘えなかったものかしら。


本日は夕方まで寝ていた。雨の音を聞きながら、だらだらと寝続けてしまった。脱水症状を感じながら、二日酔いの軽い頭痛の予感におびえながら、それでもこの全く自由気ままな生活の幸福に浸った。ここのところ、毎週お休みの日は夕方まで寝てしまう。ようやく起きあがり、シャワーを浴びた。熱いシャワーが浴室を湯気で満たす。気温や湿度によるのだろうけど、湯気がもくもくとたつときとあまりたたないときがあって、私は浴室の壁も見えなくなるほど真っ白に湯気が立ちこめるのが好き。深呼吸をすると、湯気が体の内側の粘膜に触れる気がする。お風呂から上がり、温かい烏龍茶を飲みながら携帯を見るとおびただしい数の着信があって、ふーむ、よく分からないから無視することにする。
夕暮れ、丘を下り図書館に行く。雨の丘はとても静かで、もし今日が晴れならば梅祭りで賑やかなはず。たった雨が降ったというだけで丘の様子はこんなにも変わる。寒いと思って完全装備で出掛けたのに、身も凍るような寒さじゃなかった。蒼い夕方の公園を包む雨は少しだけ春を含んでいて、透明な水滴が先週よりずっとふくらんだ梅の蕾と抱き合って、私は悲しくはなかった。どこからか流れてくる打楽器の音。正体は、青いテントの下で思い思いに楽器を叩く子供達だった。毎週ここでは子供達が、工作をしたりごはんを作ったりしている。今日は雨だから、テントの下で自作の楽器を叩いたり吹いたりしている。そのリズムは雨の音と絡まって、とても心地良い。懐かしい。そうか。ちょっとガムランに似ている。2年続けて私たちは3月にバリ島に行った。山あいの美しいヴィラに泊まった。プールから霧のかかる、緑の谷が見下ろせた。夜にはホテルのどこかで催されているガムランの音が、部屋に届いた。毎年この季節には、バリを思う。バリにいる自分を思う。
日も暮れて家に戻る。電子レンジのことで相談していた人から電話がある。私がオーブン機能のついた電子レンジをもらうのは3月末。それまで電子レンジがないのは非常に不便だ。だから私は暫定的に6000円くらいの単機能のレンジを買って使おうかと思っていたのだけど、3月末以降はその処置に困る。使い捨てってのもなんだし・・・。と思ってたらその人は3月末まで私が使ったレンジを引き取ってくれるという。ラッキー。ということで、渋谷のビックカメラで待ち合わせる。夜7時半からのこのこ渋谷に行ってレンジを買うのはなんだか非日常的で良い。一緒に家電を買うのは新婚カップルのようで楽しい。もしかしたらペアリングを選ぶのよりも楽しいかもしれない。一番安い電子レンジを買って持って帰る。むちゃくちゃ重い。帰宅し無事に設置し、冷凍ごはんを試しに温めてみる。きちんと温まる。エライ。うっかりごはんを解凍しちゃったもんだから、勢いで夕食にしてしまう。シメサバと厚揚げと菜の花のおひたしとお味噌汁とからし明太子というなんとも色合いの地味な夕食だが美味しかった。なんだか昨日の夜からすべてがリアリティーを欠いていて、上手くものごとを見ることができない。最近は映像を見るのすら苦手で、テレビはもともとあんましみないんだけど映画もつらいと思うようになった。その代わり音楽と活字を求める。今日はロラン・バルトの「恋愛のディスクール・断章」を買った。わかりもしないのに、チャレンジしたくなる。ロラン・バルトは。なんといっても名前がかっこいい。ロラン。子供が生まれたらロランと名付けよう。露藍。幸田露伴みたい。
まあ結局は、心も体も、彼以外とは何にも触れあっていないのだ、私は。だから多くの人と会ってしばらく時を過ごした後は、夢の中にいるみたいになっちゃう。内に籠もるのではなく、心が私の体を離れてどこかに彷徨う。体。心。私。彼。つなぐ方法は?解らない。解らないから、眠くなる。さっきまで寝てたのにな。もう一度寝て、起きたらすべてが繋がっているといいのに。淡い緑とピンクに輝く球体が、整然と連なる真珠のブレスレットみたいに。相変わらず、淡い期待と目覚めの絶望を予感しながら、美容液をとろうと思って伸ばした手がうっかり掴んだのは、バリに行ったときに好んで付けていた香水のボトルで、かまわない。どんなに切なくなっても、せめて夢の中で戻れるなら、この香水に包まれて眠ろう。