深海

一生に一度くらいは、女の子とキスしてみたいなーと思っていたが、ついに願いが叶った。いや。そんなに切望していたわけではないけど。

どうやら私は占い師に気に入られたみたい。携帯の着信に気付かずだらだら残業していたら、会社に電話が入り呼び出され、そのままクーパーに連れ去られた。六本木通りを右折し東京タワーを正面に下ってそのままベイサイド。意外にも占い師は運転好きで、湾岸通りを猛スピードで飛ばす。時折雨。私は弧を描くワイパーが好き。フロントガラスを流れる雨粒が好き。流れる小さな二つの雨粒が、どちらが先に下にたどり着くのか、競わせたりする。街灯の光の下で彼女の頬は透けるように白い。でも生命を感じないんじゃない。浮き世離れしているとも思わない。私は彼女といると安堵する。無駄なことは考えなくてもいいし、考えることは無駄なことばかりだと思う。
ベイサイドのイタリアンレストランに入るが、彼女はドライバーだし、もともとアルコールは一滴も飲まない。煙草も吸わない。飴も舐めない。ガムも噛まない。私はカールスバークとモッツァレラとバジルとトマトのパスタを食べる。彼女はオレンジジュースとペンネアラビアータを食べる。
私達はほぼなにも話さない。言葉はあるけど、説明できるような内容は話さない。例えば、今日来た嫌な客の話とか、最近他人の運命がよく見えなくてとか、お前の結婚の時期なんかしらねーよ!とか、デブで無能の上司の話とか、彼の気持ちがわからなくて、とかは。石について、綿毛について、深海について、話した。彼女には、深海の記憶があるらしい。言われてみれば、私にもあるような気がする。
家まで送ってもらった。別れ際に、彼女は、あなたの粒子が好きよ、と微笑み私にキスをした。
こんなにあっけなく唇を奪われたのは初めてだし、こんなに清々しく好意を告げられたのも初めてだなー。
今聴いている音楽。すばらしく美しいです。

ラヴェル:ピアノ曲全集(1)

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