マニアにはたまらないでしょ?

sumikko2005-01-17


私がなんとなく時代遅れっぽいのは、私がおそらく元気すぎるからだろうと思う。とことん行くわよー、身も心も果てるまで。まったりとかのんびりとかいらないの。空が白みはじめて帰宅して、シャワーを浴びて1時間35分眠ってさあ出社。一日耐えれば明日は土曜日。ゆっくりゆっくり眠れるわ。それでもなんとか仕事を終えた夕方メールが入って「飲もうよ」。仕方ないなあ。ひさしぶりだし。それで恵比寿→渋谷→下北沢。いったいどんな電池で動いているのだと思うほど、夜遊びのときの私は元気。ちょっとはしゃぎすぎで、80年代っぽい。なんとなく現代の26歳良い女は、夕ごはんは手作りのシンプルな和食を食べて、オフタイムは好きな音楽でも聴きながら趣味のイラストを描いたり、チワワと遊んだりして、木綿のシンプルな下着を着けていないといけないような気がする。決して無理はしない感じ。たにんをいしきしないわたしだけのじかん、みたいな。それもいいと思うけど、私にはたいくつだー。私はギリギリまで飲んで歌って踊っていた方が好き。26歳がそれを微妙にする。なんとなく、それは無理をしているみたい、あがいてるみたいに見えちゃう。ま、実際にあがいてるかもしれないんですけど。


木曜日、ランコム主催のファッションショーに行った。モデルさんはやっぱりきれいで、小学生のときにモデルの道を諦めた私の選択は過っていなかったわと思った。最近の流行なのかな?膝を曲げてかつかつと歩く歩き方。優雅じゃないし、足に筋肉がないようで私は嫌だけど、ともあれカクテルパーティーシャンパンが飲めたし、夏木マリ藤原美智子やつもりちさとを見ることができたし、なによりお土産にランコムの新製品の乳液、プリモディアル オプティマム エマルジョン7000円とイプノーズ3000円をもらえて超ラッキー。その後恵比寿のダイニングバーで飲む。地下にあるやたら広い空間にはこれでもかというほどつい立てがあって小さな個室に別れている。トランス系の音楽が流れている。店員はヘッドセットをつけている。20代後半からの合コンに使われる感じ。迷路のような店内は、トイレを探すのも一苦労。ようやく辿り着いたトイレに入ると煙草の煙りにびっくり。わー、テーブルでは吸えないのね無理してるのね。洗面台の上にクレンジング、化粧水、下地、コンシーラー、ファンデ、ビューラーなどをずらりと並べて一からメイクをし直す人やドライヤーで前髪を温める人(どうやってもってきたの?)。すごい、すごいです。作戦会議なんかもやっちゃってる。その間、男性陣はテーブルにほっとかれてるの?でもまあ、ちょっと自らの努力の足りなさには反省した。「君って顔がテカりやすいよね」て言われてるようじゃだめっすよね。でもそういうところが私らしいのと酔った頭で妙に自信たっぷりに、顔をテカらせ気味に席に戻る。その後、渋谷で飲む。何軒いったかな。覚えてない。
土曜日は両親が上京。午後は母の買い物につきあう。60歳になる母は、私と違ってつつましく優しくて、私達はいつでも友だちのように接してきたが、買い物となると資本の違いに圧倒される。そして見事なまでの決断力の早さ。ランコムカウンターではしゃぐこと1時間半。私の家賃一月分に近い化粧品をお買い上げになる。持ち歩くのが重く苦痛な化粧品の袋なんて初めてだ。私の購買意欲は彼女に全て奪われて、その日は慎ましくリップ1本でなんだか満足。春の新色。淡いピンクと大粒パールでとてもかわいいリップです。幸せだわ。
その後青山で家族揃ってお食事。その後赤坂に移動して飲む。ホテルの最上階のバーの大きな窓ガラスには水滴がびっしりついていて、まるで海底のよう。ああ、ここは、数年前に別の人と来たなと思ってちょっと顔が明らむどころか危うくネタにしてしまいそうで、いかーん両親にとってはいつまでも子供なのだからと思って、あの滑稽な夜の出来事を一人反すうして、さらに頼んだテキーラサンライズまで一緒なことに気付いてにやけてしまう。その後呼び出した友人と朝まで飲む。白い洞くつの中みたいな小さなバーは、雨音が四方八方からこだまするよう。どこからかのすきま風が指先や足先の体温を奪っていって、私は膝を抱えて毛布にくるまりたい。コンスタントに67% くらい酔っていて、いろいろな想いがぐちゃぐちゃになって、言葉がうまくでてこない。先程まで両親といたせいもある。自分の歳を失う。お酒を飲んでいてもいいのかしらとさえ思う。実際はお酒を飲んで叱られるどころか、小学校4年のときの誕生日プレゼントにカクテルのシェーカーをくれた父だったけど(その翌年は桑とか鍬とか腐葉土とかピートモスとか農作業グッズをもらった)。それでいつのまにか雨音の中でまったりと、言葉少なに飲んでいて、いやだわこんなのって嫌いなはずだったのに。嫌いなはずだけど、これはこれでいい。無理しなくていいし。でも。おでこがつけたい。どこかに。全体的に哀しいのは、その想いが目の前の窪みを望んでいないからだろう。

店をでても相変わらず雨の寒い朝で、凍死する凍死するわと思いながら帰宅して郵便受けを見ると、「遅ればせながら」と年賀状とも言えないはがきが来ている。双子の友だちが、双子を産んだ。その友だちの双子の姉もちょっと前に双子を産んだ。昨年あったとき、彼女のお母さんは一気に4人の孫を持つことになると苦笑したが、そのため息はとてもキュートだった。双子の赤ちゃんの写真の下には彼女の手書きで、同時に泣きだすから首を絞めたくなると書いてあった。シャワーを浴びながら、ぼんやり思う。少女になったりおばさんになったり子供になったり、本当に26歳の女は大変だ。日によって好みの変わる服装、香水、メイクアップ。明日何が好きかもわからない。いつか母になったら、私は少なくとも誰かの母であるという確信に、支えられることができるかしら。それは、とても魅力的だし、怖いとも思う。確信なんて。呟いて滅多に人を羨ましがらない私が、首を絞めたくなる子供のいる彼女の状態を純粋に、羨ましがっているのだと気づく。