不器用

sumikko2005-01-11

あくまでも好みの問題だが、雑貨好き、裁縫好き、お風呂好きっていう26歳女にはなりたくない。それはいかにも私の外見に馴染んでしまう。垢抜けないもてない田舎娘。娘という歳でもなくなって、こそこそとこだわりともいえないこだわり楽しんでいる自分が目に見えるよう。だからってコスメ好き、アクセサリー好き、下着好きってのもどうかと思うが、五七五にもなってることだし、当面はこっちを目指したい。
ここのところなじみの食器たちがどんどんと壊れていく。ちょっとした衝撃で半分に割れたり、グラスの足が折れてしまったり。それらは私が一人暮らしを始めたときからの友達。つまり共に7年の時を過ごした。大体これくらいか、ロフトやアフタヌーンティーで買った食器の寿命というものは。やけに夫婦茶碗だのワイングラスだのを揃えた時期もあったが(夫婦茶碗の夫側は買ってきて2日後に割れたが)しばらくは自宅の食器類を充実させることもあるまい。くそ。

今日のすっぽかし犯は55分遅れでやってきた。15分経過したときは自分が少し愛おしかったが30分たったときに大嫌いになった。37分目で一度泣こうかと思い、45分たったときに最初の気持ちに戻った。現れた人に怒っても怒らなくても私はばかみたい。泣くな、今日は長さとカールと発色を重視してマスカラはウォータープルーフじゃないのよ、泣いたら最後、パンダ目になるどころか溶けたマスカラの繊維が目に入ってハードコンタクトの目に激痛をもたらすわ。遅れた理由を聞きながら、溢れそうになる涙を戻すため、私のコスメボックスに突き刺さっているランコムのマスカラの本数を数えて気を紛らわす。アンプリシル、デフィニシル、マジィーシル、イプノーズ、フレクステンシル・・・、色違いを含めて全部で14本だ。1本平均3700円として51800円か。うわー、睫毛だけで51800円かー。

非常に不器用だと思う。でもこの精神のあり方としては器用だとも思う。素直になれないなどという初々しい時代は昔、今では大きな食い違いの前に装うどころかさらけ出すしかなくて、結果的にとても素直になる、私。その状態が不器用だということ。だけどそんな状態にまで自分を持っていけた私は器用だと思う。同時に非常に滑稽だと思う。
装わない状態は、感覚を敏感にする。楽しいとか悲しいとか痛いとか柔らかいとか熱いとかおかしいとか、そんなのが骨に響くようびりびりと伝わってくる。変な生き物になってしまったよう。たまに息をし忘れることもある。そうだ、水の中にいるみたいだ。

一人丘を登りながら、かつて恋人に別れを告げたときの精神状態を思いだしてみる。どうやって、私は別れることができたんだろう。19時過ぎの公園は静まりかえっていて階段の先には蒼く澄んだ空に輝く星がある。間違いなく、その当時より今の方がかつての恋人を愛している。それは観念的に。最終的にどの想いもここに落ち着くのではないかと私は思う。すべてをそこに流し込むために、私はがんばっているのかしらと思う。でもそれは悲しいわと思う。地平線の果てまでぴんと張っていた糸が、一人になった途端ぐちゃぐちゃに絡まって、小学生の頃通知票のコメント欄に「ちょっと不器用なようです」と書かれたほどマジで不器用な私は、結局そんな糸のことはほっておこうと思う。家まで残すところ数十メートルというところで今日一日思い出しもしなかった人から電話が鳴って、逢いたいと言われる。それはひどく暴力的な言葉に聞こえる。だけど昨日私が唱えた言葉だ。全く。逢いたいと思ったり思われたり、人は大変だね。そのまま家を通過して駅まで行って、ホームで電車を待ちながら進行方向を眺めると、そこから東京タワーが見えることを知った。ここに住んで3年と半年。初めてそれを知った。私の目は一体何を見て生きているのだと、今日一番のショックを受ける。