慎み深く生きろとあなたは言うけれど

尊敬する友人が片山恭一の「世界の中心で、愛を叫ぶ」はそれなりだ、と言っていたので読んでみる気になった。ランチタイム、コーヒーショップのソファに身を埋めてページをめくる。まだほんの障りなんだけど、恥ずかしいよー。なんだか文章がすごく恥ずかしいです。もう読んでられないくらい恥ずかしいです。今度街であれを読んでいる人を見かけたらどんな顔で読んでるのか観察したいと思う。


いくら食べても太らないとか、色白とか、爪が丈夫とか、愛されれば愛されるほど満足できるとか、得な体質だと思う。
昔かなり唐突に告白をして驚かせてしまったことをさすがに反省した私が「ごめんね、私は友達発展型じゃないから」と動転した頭で訳の分からない弁解をしたところ、「友達発展以外になにがあるの?」と彼は驚いて問った。そのとき初めて、私は恋愛に様々な形があることを知った。ドラマやマンガなどで、第一印象は最悪、でもだんだんと気になっていつしかそれが恋だと気づき・・・ていう展開ってよく目にするけど、それは物語上だと思っていた。たった一度だけエスカレーターですれ違った女性を死ぬまで思い続ける方が、私にとってはずっと理解しやすい。私は、第一印象がすべて。初めて会ったときに恋らしいものを感じなければ、徐々に愛情がわくことはあっても、恋は絶対に芽生えない。嫌だと思った人は一生嫌。だからといって口をきかなかったり意地悪をしたりするわけじゃないし、思ったよりいい人だったなと思うことはよくあるけれど、それが恋になることはまず、ない。だってそもそも愛なんて、そのへんにごろごろ転がってるじゃない。共に過ごした時間の長さだけでも愛ならば生まれる。でも恋は。恋は時間や理屈じゃない。直感でも運命でも陳腐な言葉を並び立てれば安っぽくなるけど。でも私はそう思う。仲の良い男友達とふいのきっかけで付き合いはじめる可能性は皆無ではないだろう。それはとても自然で穏やかで心温まる日々だろうけど、私はきっと苦しむ。愛情はある。でも、恋がないなんて。
「今はまだ恋がしたいから」と思っていた。どんなに傷ついても私が全力で好きだからかまわない。あなたの声が、骨格が、匂いが、図書館の本棚に寄りかかってページをめくる指の動きが、煙草の煙を吐き出す頭の角度が好き。この恍惚に比べたら、些細な約束なんてどうでもいいわ。まだ今は。そのうち疲れたら、安寧を求めればいいと思っていた。でもどうやらこれは私の持って生まれた体質で、年月や恋愛を重ねたからと言って私の恋愛の理想型が変化するわけではない。そして不幸なことに私はクレイジーなものに恋をする。本当に、損な体質だと思う。


私の夢。40年の同棲を経て、ある晴れた秋の午後に、やっぱ一緒のお墓に入りたいよね、籍いれよっか、と言われること。
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