春の匂い

やりたいプレイの数だけ男をつくれ、というのは、戦友、中目黒の女王の言葉なのだが、そこまで先進的でない私は、夢見るデートのバリエーションの数だけ恋人を作ろう、という言葉に置き換えて記憶しようと思う。
本日は東京タワーのお膝元、麻布台にあるフレンチレストランでディナー。ガード下の居酒屋でコップの日本酒と焼き鳥と炒飯を食べるのも、駅ビルのトンカツ屋で大皿に盛られたキャベツの山にエビフライ、チーズ巻きカツ、スコッチエッグフライ、カキフライ2ケずつと、大根サラダ、茶碗蒸し、ご飯と味噌汁に、なぜかスパークリングワイン1本がついちゃうようなクリスマススペシャルペアディナーをもりもり食べるのも、食前酒に始まりカルヴァドスで終わるようなディナーも好き。私はどれも好き。だけどすべてを叶えてくれる一人の人はいない。兎にも角にもこちらは「ランス・ヤナギダテ」の3号店。炭火焼きをメインにしたお店でヤナギタテより雰囲気もお値段もカジュアル。とはいえ、私が自腹で気軽に行けるお店ではない。定時で会社を飛び出して、7時前の店には一番乗り。店はスタイリッシュで炭火焼きという活気のあるイメージとは少し違うけど心地よい。ビストロとは一線を画す凛とした雰囲気が好き。シェリーを飲みながらメニューを眺める。徐々に人が入り始め、ビジネスらしい男性4人組と、私より少し上くらいの女性3人連れ、年配の男性二人連れなどがいる。遠くにとびっきりのお洒落をした女の子をつれたカップルが一組。スーツの男性は27歳くらい、連れは私と同じくらい。その女の子のノースリーブの黒のドレスの上に羽織った上品なストール、きっちり編み上げた髪の毛、キラキラ光るイヤリングに胸を打たれる。きっと特別な日。背伸びした二人。ちょっと違うよ、ここは余裕のある人たちがそのハイレベルな普段着で楽しむ店。でも、私は嬉しいわ、そういう二人の姿がまぶしい。いたずらに経験値を積んだ私には(他人の懐を借りたときには)そんな緊張感はない。私の選んだコースにはジビエは含まれていないけど、ジビエが食べたい。今日は家禽が食べたいの。尋ねると今日は鹿と鴨がいるらしく、サービス係の話しぶりから鴨(colvert)が美味しそう。それをメインに替えてもらい、前菜はアボカドと蟹のサラダをいただくことにする。自家製のパンも前菜も、その前にでてくるデミカップでいただくポタージュも美味しい。そして待望のジビエ。素晴らしかったです。熟成の進んだ肉は旨みがしっかりとでて、トリュフのソースが香りを引き立てる。穏やかな藁のような香りと深い余韻が楽しめるブルゴーニュのCh,de Carlesと絶妙の相性。至福。すっかりリラックスして食事を楽しむ。そしてここが、ひとつの到着地点であることを悟る。何となく、法事の後の食事会を思う。晴れ晴れとした哀しさ。死んでしまった人は戻らない。レストランは東京タワーに向かって立っている。店をでると、そこはかつてのように、まだ東京タワーしかない世界。だからあえて六本木ヒルズにタクシーを走らせる。ヒルズで一番雑多と思われるハートランドのバーに行く。様々な人種、年齢の人々が立ったり座ったりして夜を楽しむ。トレンチコートを羽織れば夜風は頬に心地よいほどで、外に置かれたスチールの椅子に腰掛けて瓶から直接ハートランドを流し込みながら、12月の夜だぜおい、と思う。寒い?とマフラーを巻き付けてもらう必要も、どちらかのコートのポケットで手をつなぐ必要もない。ホワイトクリスマスなんて、未来の子供は人工の蛍が舞うことを言うんじゃないかしら、と思う。長いエスカレーターやすでに見慣れたガラス張りの異様なビルを見上げて、すでにここには別の想い出ができていることに気づく。その想い出の方が私を締めつける。あの春の日。長袖一枚がベストな霞む午後。夕方になると途端に寒くなり体温が心地良かった。ビールをもう一本。もっともっともっと、寒くなればいい。体の芯から冷え切ればいい。でも、緑の瓶はあまりにも陽気だわ。いつかまた会おう。ヒルズの見えない東京で?どっちでもいいよ。同じことだもの。
帰り道、地下鉄の中で目を閉じていると、春の匂いを感じる。そんなはずはない。今は12月。だから目を開けない。隣にいると信じる。夢でいい。消えないで。いずれこれも、無痛の春の匂いになる日を知っている。でも今はまだ、痛くていいわ。痛いか、痛くないかなら、欲張りな私は、やっぱり痛い方がいい。
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アンダーグラウンド+3

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