真空

今朝の東京はかすむほど春の風情で、花粉のための涙目が、しばしの別れを路地で惜しむような、果たして本当の記憶なのか空想なのか区別のつかない幸せな春の朝の景色を映し出す。開いた電車のドアから花粉とともに流れ込んできた、すらりとした白髪まじりの男性(おじいさんというほどじゃなく、中年でもない。なんていうのだろう、あのくらいの好ましい歳頃)は、たった今煎ったコーヒー豆を挽いたばかりというほどの、芳しい香りをいっぱいにまとっていて、私はそのざっくりとした生成の麻のジャケットの下の今なお私を充分に魅了するであろう肩に、おでこをつけたくなる。そして息を胸いっぱいに吸い込みたい。
しばらく眺めていてわかった。その男性はクッツェーに似ている。といっても私の知っているクッツェーは表紙の裏で哀しげにこちらを見るクッツェーだけなのだけど。昨日「エリザベス・コステロ」読了した。耐えきれなくなって「動物のいのち」も買ってしまう。ああ。今月は、すでに借金生活なのにな。カフカの短編集もきちんと読まなければ。「掟の門」。高校の頃読んだけど、よく分からずに読んでいた。それにしても、講談社文芸文庫には腹が立つ。ホフマンスタールの「チャンドス卿の手紙」が読みたいと思って検索したところ、岩波文庫講談社文芸文庫からでていた。まあ岩波文庫が廃刊になっているのはまあ仕方ないとして、どうして講談社文芸文庫も廃刊にするの。なんのためにあんなに高いの。カスタマーセンターに電話して、どうにかして手に入れる方法はないかと食いさがったが、「ございません」とさらりと言われた。恥を知れ!この憤りを伝える相手は一人しかいない。その不愉快な出来事をメールで伝えると、当然その人は、驚いてくれて、しかも私の切望するその本を持っていた。焦燥と、羨望と、確信でくらくらする。

私が最初に勤めた大企業の同僚が、転職して地方に行くことになった。社会人1年目にして丸の内にOL向けのマンションを買い、50歳を過ぎてもローンを支払い続けるはずだった。地方に行くのはおそらく2、3年。その間、マンションどうするの?と訊いたら親に返却かな、と。なんだー買ってもらったんかい。話は転がって、彼女が帰ってくるまでの間そのマンションを今の私のぼろアパートより格段に安く貸してくれるという。築3年。丸の内にある高層マンションの28階。42平米。私のぼろアパートは次の6月で契約が終わる。更新するかしないかは、まだ決めていない。夏は、ヨーロッパに旅することにしている。そんなに長く休めないから仕事は辞めるつもり。運良く次の仕事が決まればいいが、そう何事もうまくいくまい。いよいよ東京撤退かなーと漠然と思っていた。たいていの、楽しいことも辛いことも経験したしね。だけど、その友達の提案する程度の家賃なら、ほどほどに楽しい仕事をして家賃を払ってまだ少し、余裕のある生活が送れる。可能性のひとつ。


帰り道、切望していた本を借りた。苔みたいなハンバーガーショップで温かいウーロン茶を飲んで、少しだけおしゃべりをする。歩いて帰れる距離だけど、花粉だし体調もすぐれぬし、電車に乗って帰る。帰り道、いつものように丘をひとりでのぼる。梅の花が満開だ。たぶん今宵が盛りだろう。風もなく、穏やかな夜の公園は真空のよう。白やピンクの小さなぽんぽんが宙に浮かぶ。
充分だろう。ここにいる意味は。
このぼろアパートでなくては意味がない。
それに、鞄には本が入っている。意味なんて、いらないのかもしれない。

動物のいのち

動物のいのち



チャンドス卿の手紙・アンドレアス (講談社文芸文庫)

チャンドス卿の手紙・アンドレアス (講談社文芸文庫)