回数券

新しい鞄も新しいコートも新しい恋人も、手に入れてすぐは、人生の飛躍に有頂天になってそれなしで過ごしていた人生に軽く優越感なんて抱いたりもするが、それらはいずれ擦り切れたり汚れて捨てたり(たまに捨てられたり)するものだ。だから、大丈夫。あの若草色の羊革の靴は手に入れなくたって、生きていける私。


昔、かなり真剣に愛した男に交際を申し込んだところ、10万円で付き合ってあげる、という返答を頂いた。それは、少し無理すれば払えない額じゃなくて、私はとっさに辺りを見渡してATMを探したが、明け方の街道には見つからなかった。10万円は、恋人の権利を得るには破格のように思えた。
10万円で得た恋人の権利。
私は風俗の相場を知らないが、セックス4、5回分ってとこ?10万円で恋人の権利を買って、その後4、5回セックスをする。いったいなんの意味があるんだろう。だけど、ただで転がっているセックスにだって、なんの意味があるんだろう。恋人と名乗れる権利に、なんの意味があるんだろう。いろいろと、壊れた。夜明けの道を一人歩きながら、まるで人ごとのように、なんて過酷な恋なんだろう、と思った。疲れきった体をベッドに横たえて、眠りに落ちる直前に思った。私は、嫌いでない男なら7000万くらいで、一度だけならセックスしてもいい。



まるでノートに似顔絵を描くように、ちょっとまってねと言いながら芸術家が創った私は、「目」だった。
金網の中に閉じこめられたラグビーボールのような私の「目」が、私を見つめる。私はその「目」を解放してあげたいと思ったし、その「目」の前で自由を失った。「目」が、泣いてもいいように下には青い、バケツが置いてあった。実際に泣いたのは私の目の方だったけど、こっちには受け止めてくれるバケツもない。それどころか、流れ落ちて床に砕ける雫の軌跡を追うために、拭うことさえ禁じられる。


私の恋においては、4枚綴り10万円のセックス券でも、手作りのハート形のケーキでも、大差なかろう。体しか、信じないなんて椎名林檎か私は。だけど、心の痛みは体の痛みに繋がる。現実に、私は子宮が痛い。いや、体の最奥部にある、芯のようなものが痛い。もはやなにかの反応として流れ落ちていく涙のようにではなく、声を殺して、我を忘れて、吐くほどに泣いてみれば、芯の痛みはしゃくり上げた喉に移動している。その喉は、熱くてからからで、水道水すら幸福に迎える。一度息をついて、バスルームの鏡に映る、カルキの水にいとも簡単に癒されたこの安い、私の体を直視して、4枚綴り10万円は、まだ発売中かしらと思う。