瞬間

sumikko2005-02-24


身から出た錆とは言え、やっかいな問題に困り果てて逃げ出してきたドンファンは、ふわりと私の肩に頭をつけて、だから女はとつぶやく。こんな至近距離になって初めてわかる二つの香水の調和に私はご満悦。ほんの少しの不満といえば、いつ私がこの人にとって「だから女は」でなくなったのかということ。頭をもたげてちょっとだけ注意してその鳶色の瞳で目の前の生き物をみれば、それが虚しいほど女であることに気づくだろうに。だから男は、とため息。でもわからない。女でないことを望んだのは、私かもしれない。


少し前からなんとなく聴いていたJack Johnsonって、すごいメジャーな人なんだと昨日知りびっくり。あまりに有名だと、恥ずかしくて聴けないってわかる?裏日本で中学高校と過ごした私は、海外アーティストといえばマイケル・ジャクソンとマドンナとプリンスしかいないという不幸な環境にあり、私が選んだのはマイケル・ジャクソンだった。CDショップといえば靴屋に隣接されたコンビニよりも小さな店が唯一で、当時図書館にCDレンタルなんてものはなく、バイトも禁止だったんで(というかバイトする場所もなかったが)なけなしのお小遣いから買った数少ないCDを繰り返し繰り返し繰り返し聴いていた。だから彼の歌はほぼすべて歌詞をみずに歌える。大学受験をひかえて夜行バスで東京ドームライブに行っちゃうほど熱狂的に好きだった。だけど今、有線で「BAD」とか「DAGEROUSE」とか流れても他人のふりしちゃう。もっともジャクソン氏の場合はいろいろな意味で恥ずかしいんだが。あ、でも音楽は好きですよ。今でも。「Remember the time」とか「In the closet」とか「The way you make me feel」とか。今日は朝からCHARAのライブアルバムを聴いてます。ここのところクラシックばっかり聴いていたので、疲弊気味。いや、クラシックは気持ちいいんだけど、疲れちゃう。同じ音楽をいろいろな演奏家が弾いていて、どれが好きとかこの弾き方は特殊だとか、必死で考えながら聴く。楽しいけど疲れる。私はこの人のこの弾き方が好きだー!と叫んではいけないような気がしてしまう。いや叫んでもいいんだけど、よくわからないんだよね。本当はクラシックが嫌いなのかもしれないと思い始める。だからちょっとクラシックは休憩。そういえば、昨日私が聴いていたFatboySlimと Kanye Westは、i-Radioでキリンジがおすすめしていてびっくり。あーキリンジも聴きたいな。大丈夫。iPodに入ってる。


いつも思う。ものの生まれる瞬間と、それを楽しむことについて。芸術を分析して創り上げる人、無邪気に生み出す人。知識を総動員して芸術を分析して鑑賞する人、感じるままに好き嫌いで楽しむ人。私は4番目だ。だけどそれでは嫌だと思った。無知な女が美術館に行ってやっほーと言っている。イタリアに行ってローマ最高!と言っている。吐き気がする。好き、嫌いは重要だけど、根拠がないのはあまりに幼い。だから知りたいと思った。今更山川出版の分厚いフランス史やイタリア史を読む。わかりもしない哲学書を読む。だけどあまりに世界は難しくて、結局わかった気になるだけ。それでも、そのような歴史や思想の上に創り上げられたものがあることを漠然と知っただけでもかなりの進歩だと思った。その人に出会わなければ、私は一生そんな世界を知らなかった。とはいえ結局は私は凡庸なただの女で、だからといって何が変わったわけではない。相変わらず、一番重要なのは感覚で愛せることだ。どきどきするのは、周到な音楽家が即興でリズムを奏で始めるとき、細密な彫刻家が創り上げたオブジェをふいにまっぷたつに壊し完成と微笑むとき、冷静な思想家が明け方の道路で壊れて叫びだすとき。私はそんな瞬間が好き。そんな思いがけない瞬間に、何かが生まれる前の偶然に私が居合わせたこと。私の世界の主役は私じゃなくていい。ただいつもすみっこ*1で、いつでも笑っていられたら、と思う。

*1:おお!!ついにid の由来が!て嘘です。偶然