粒子

若かりし頃勢いで寝てしまった男は、勢いで寝てしまったとはいえ、勢いでも寝ようと思ったくらいだから、それなりに好意がなかったわけではない。しかしセックスの後の絶望は好意を遙かに上回る。二度と、無駄にセックスしまいと誓った晩春の朝。やがてその嫌悪感も消え失せて、ときおり懐かしさが漂いはじめた頃、午後6時半とか中途半端な時間にいきなり着信をもらっても、どうしたもんだかな。ぼんやりと震える携帯電話を眺める。やがて留守番電話になる。数秒間の沈黙のうち、電話は切れる。思考を閉ざして明るくかけ直すのもよかろう。あの映画マニアと最近観た映画の話をしたり、キレのいいつっこみを受けたり、カラオケでm-floを熱唱するのもよかろう。でも、そこにはいつもセックスの匂いがつきまとう。たとえお互いに寝る気なんてなくても。恋のないセックスの空気なんて、26歳女にとっては疎ましい限り。
だからほら。軽々しく寝たりするもんじゃない。こうして一人、完璧に親友を失ったのよ。バカ女。


ヴァレリーの「ムッシュー・テスト」を読んでいた午前1時、占い師の友人から着信が入る。「お風呂に入ろう」。断る理由もなく、20分後クーパーに連れ去られる。連れて行かれたのはビルの高層階にあるスパで、ローマ風の風呂をイメージしてるとかで、柱には彫刻が施されていたり、色とりどりのタイルが敷き詰められていてどことなく安っぽい。しかしジャクジーやミストサウナが充実していていい感じ。クレンジングも化粧水もバスローブも、歯ブラシも綿棒もヘアピンに至るまですべてそろっている。しかし深夜2時でもそれなりに人がいて、この世界には変な生活形態の人がたくさんいるんだね。占い師とお風呂に入るのは、なんとなくエロティック。腰まである真っ黒のストレートの髪の毛を頭の上に結い上げて、専用のクレンジングオイルで濃いアイシャドーを落とした姿は、人の運命を語るには弱々しすぎるように思う。余分なものがいっさいないシンプルともいえる体で、この人は、いったい何を見て、何を聞いて生きてるんだろう。ハーブの香るミストサウナでその人は、粒子について話してくれた。その人は、すべての生き物の粒子が見えるのだそうだ。粒子の連なりで、輝きで、その人の状態がわかるらしい。私は今、どんな粒子なんだろう。アフターファイブを満喫する彼女に向かってそんなことは訊かないが、彼女は最後に一言だけ、きれいな配置よ、と言ってくれた。そうか。私の粒子の配置は、きれい。