大好きだ

ようやく私の歳にひとつ近づく青年のお祝いを頭の片隅にちょこんと置いてウィンドウショッピングを楽しむ私の心に、贈り物としてベストなものからちょっと外してやろうという気持ちの芽があることに気がついた。心底素敵でしっくりくる贈り物を贈れるようになったら女の子はおばさんへの第一歩を歩み出すことになると思う。この場合おばさんは大人の女と置き換えることができ、それはポジティブなおもむきのおばさんなんだけど、私はまだ大人の女になりたくない。微妙にださい、がんばりすぎ。そういうラインの贈り物がキュートだと、私は思う。それはいかにも恋する女の子らしい。ぼんやりとA.P.Cのネクタイや帽子を手にとって、この余裕が心底大切な人に対しては起こり得ない自分に笑う。大切な人にはいつだって全力で失敗してしまうのだ。


偶然がどの程度で人に訪れるか、私はしらない。だから私が偶然とかばったりとかに出くわしやすいかというと、それは人と比べたことがないから分からないけど、でもやっぱり私はそういうのが多いと思う。いや、そういう偶然に、私が特別に意味を与えがちなのかもしれない。その証拠に、私にとっては一日がひっくり返るようなエキサイティングな偶然も、意気込んで報告した相手の反応は「今日黒ベルトを買ったの」という報告に対する相槌くらいのものだった。でも。
人がどういう風に、それを過去にしていくのか、私はしらない。ある偶然の出会いで、私にとってとても重要だったある夜の出来事が、残り数個になったパズルのピースを埋めていくように埋まっていく。見えなかった部分が、それによってなんとなく見ることができて、私はそれが私だけの夜じゃなかったという当然の事実に思い当たる。その事実は不幸でも辛くもなくて、ひとつの事実はみんなの中でキラキラと、輝いているかもしれないという安堵。客観性。とたんに、過去に流れていく。私が夢中だった夜。心のすべてがそこにあった夜が。
大好きだ、と思う。
何が?
そんなの知らない。大好きならばそれでいい。過去でも現在でも未来でも。ただ。大好きだと、喚かなくても、しんしんと、大好きだと、思える自分があるのが、大好きだと思う。