祈願

sumikko2005-01-21

その人との電話の第一声には、細心の注意を払った。
ほぼ私の話は聴かなかったが、声にだけは敏感だった。「もしもし」という声だけで、私の機嫌が、心の模様が分かるらしい。他人に対して気分のむらのある私じゃない。それでもどんなに押し隠しても、察知されてしまう。一度に鳴る100の楽器を聴きわける耳の持ち主だから、きっと私の耳よりも何倍も多くの音を聴いているに違いない。いつも私は、言いたいことを言う前に、慰められた。なだめられた。高まる期待は打ち明ける前に打ち落とされた。それはとても怖いことだし、心地良くもあった。言葉は無駄だと、そのとき思った。でも。一体その人は、私の何を知っていたのだろう。その人の中で私は、どういう形で残っているのだろう。一度に鳴る1000の音からたったひとつ外れた音の発信源を突き止める耳の持ち主だから、記憶の方法も私とは違うのかしら。その耳に残る、様々な私の「もしもし」だけで、その人にとっては記憶されるに十分だったのかしら。


山手線の目黒から新橋の区間ってどうしてあんなに感傷的なんだろう。


昨日は最高にやさぐれていて、午後六本木で仕事を終えた後ヒルズのアーキラボに行った。良いとうわさは聴いていたが、本当に良かった。発想がすごく面白い。時間があまりなく、駆け足だったのが残念。会期中にもう一度じっくりいきたいと思う。それよりも昨日私の心を満たしたのは、蒼い東京の午後の景色で、ヒルズの展望台は本当にすばらしいと思った。年間パスポートがあれば絶対に買う。夜はひさしぶりに赤坂でお食事。といってもティーヌンというチェーンのタイ料理屋で、スチールの丸椅子はおしりが痛くなる。まあたまにはこういうのも悪くないが、なにより調子にのってかけた唐辛子入りの酢が辛くて辛くて、ここ3年間でおそらく一番たくさん水を飲んだ夜だった。
本日は人形町で取材。取材前ちょっと早く着いたので、水天宮にて安産祈願をする。今、子宝に恵まれたらちょっとかなり困るが、万一恵まれてしまったら安産の方が良い。そういえば、毎年初詣では投げ付けたお賽銭の50倍くらいの数と量の願いごとをしていたものだが、今年はたったひとつのことしか願わなかった。叶うといいな。叶うといいな。せっかく人形町に行ったのだからランチ代わりに人形焼きを食べる。重盛永信堂の餡の入ったやつ。あ。結構美味しい。これは旨い。あーそういえば、ここは昔むかし、最高に憧れていた人と一緒に食事に来たなあ。晩夏の赤紫の夕暮れで、老舗の洋食屋の二階の和室でどきどきしながらハヤシライスとテールシチューを食べていたら、向かいの家の二階のベランダからおばあさんが半裸で身を乗り出し団扇でばたばたと煽いでいた。少女な私は、どうしよう!って思ったものです。なつかしい。なつかしーなー。なんて感じでお仕事も終わり。今週はなんだか長かったです。週末はゆっくりすごそうと思う。ひさしぶりに。