完璧な東京の初夏らしい一日だった。東京の初夏というのは私の生まれ育った田舎の初夏とは全く違い、何が違うかというと、ビル群が霞んで、溶けて、生々しくなるのが東京の初夏の象徴だと私は思う。陽が落ちると、人々が話しだす。路地や、あらゆるところで。鈴虫みたいに。もちろんごく個人的な感覚です。
久しぶりにランチの約束があった。実は私にはその昔某大手金融機関のOLを数週間ほどやっていたというある意味輝かしい経歴があり、同期50人あまりのなかで今でも親しくしている友人が2人いる。先月、その友人の1人が結婚し、昨日はそのお祝いで名字の変わった彼女と3人で新橋にある某ホテルの最上階のレストランでランチをした。3人それぞれにこのホテルには因縁があり、時効の出来事を暴露していくのはかなり楽しい。若かりし頃の失敗談を、それぞれに語る25歳、そのうち一人はすでに26歳。ホテルの最上階で灰色のビル群を眺めながら、スパークリングワイン片手に休日のランチタイムを過ごすなんてバカ女を絵に描いたようでものすごく良い。
それにしても名字が変わっちゃうというのは不思議です。私が名字フェチである理由のひとつに、私の名字はちょっと珍しいのだけど(少なくとも市販のハンコにはない)引きかえ名前の方はごくごくごくごくごくごく凡庸で、同じ名前の友人が何人いるかって感じ。同じ名前の友人3人で合コンに言って男性チームを混乱させたこともある。もちろん、悪気はないです。偶然です。でも、そう。もしいつか私が結婚することになり名字が変わるとすると場合によっては私はお笑い芸人みたいな語呂になるわけで、それはかなり避けたい。だからと言って私は結婚すると決めたほど愛した人との間に自分の名字を変えたくないという些細なことで荒波を立てたくないんで、これは最初から愛せる名字の人と付き合えばいいんだ!と。というのは冗談なんですが、でもどうして結婚すると名字が変わるのか不思議でならない。もし子供が生まれたら、子供の名字は夫の名字でいいです。でも私自身は名字と名前セットで私だと思う。どうして、自分がずっと親しんできた名字をみんなそう異議なく手放してしまえるのか。夫婦の絆って、名字なんかで結ばれてしまうものなんですか?
その後、3人でセルフエステに行く。3人でヘアバンドとエプロンという間抜けな姿で鏡に向かい、超音波で刺激を与え、スチームパックする姿はかなり滑稽だけど、最高に楽しい。その後二人はさらなる癒しを求めてリフレクソロジーへ行ったが私は語学学校の時間が迫っていたのでそこでおいとまする。授業中、傾いた夕陽が教室をオレンジで満たして、私は高校時代を思い出す。私は、ものすごくナチュラルになりたいと思った。自分に制限を課すのはなんとばかばかしいこと!と思った。