sumikko2004-05-28

今日のタイトルは id:zoot32さんへのオマージュです。
私も白洲正子さん大好きです。正子さん、そう呼んでもいいですか?

昨日はあんなに余裕かましはてなの更新やベーグル日記を書いていたのに、さあ六本木バークルージングに繰り出そうかしらと思った瞬間、明日までの原稿の存在に気がついた。たいした原稿でもなかったんで午前中やればいいかなーと思ったが不測の事態に備えて一応形だけ作って帰ろうと思う。で、会社を出たのが 10時前。狂おしいほど人恋しかったけど、ここはぐっと我慢をしてみる。最近そういう楽しみ方ができるようになった 25歳。 26歳まで後数ヶ月。
昨日は趣向を変えて神楽坂を経由して帰る事にした。神楽坂、良いです。ものすごく良いです。夜散歩をしていると、知らない街にきて夕食をどうしようか迷って歩いているみたいな気分です。いくつかとても感じの良い店があって、こういうところに連れてきてもらったらたぶん一瞬で恋に堕ちるとか思いながら、連れて行ってくれる人の登場を待つより一人で暖簾をくぐる方がはやいと思ってしかも実行してしまうのが私の敗因だろう。どの路地もおそろしく魅力的でいちいち迷い込んでみたい誘惑にかられるけど、どの路地にしようか迷うし、こういう路地は想像にとどめるのが最も官能的なこともすでに知っている 25歳。ああ、気軽に電話して夜 10時くらいから 終電の 2つ前くらいまでの時間までさらりと飲んでくれる男友達がいるといいなあ、とものすごく身勝手なことを思う。別にサービス精神とか旺盛じゃなくて良いし、疑似恋愛なんか楽しめなくてもいい。まあ一緒に飲みたいくらいだからいつかは恋愛に発展するかもしれないけど今は別にそんな気はないのよ、て感じのがいい。ちょっと前まではそんな都合の良い相手を望みもしなかったのに、だんだんわがままになってくる。それで自分の希望にそぐわないならまあいいや、という気分になってくる。これが 25過ぎた女の思考ってやつなのかな。でもこのわがままは、例えば某美術大学で彫刻を専攻する友人が言う「裸体の作品は好きな女性のヌードでしか作りたくないけど、彼女に脱いでもらってそのあとセックスするのは疲れるから嫌なんだよね」というわががままとはちょっと違う。いや全然違う。それはともかく、昔から一人でいるのが大好きだったが、昔に比べると今はずっとだれかと一緒にいるのが好きになり、楽になった。それは、昔は、誰かといればその人と一体になることを望んだから。一人に戻ったときに果てしない孤独と安堵があった。今は、誰かといても、私は私でいることができる。できる部分で分かち合えればいいんじゃない?て感じで。随分、楽に生きれるようになった 25歳。ちょっとせつなく思ったりもする。