木蓮

実際に逢って喋るのと、電話での会話と、メールの文章では、人の雰囲気はかなり違う。数年つきあっていてもいつも私は、その人に電話をかけるときどきどきしてしまう。電話では不機嫌か上機嫌、はっきりとどちらかで、はたして今日向こうにいる彼は、どちらの彼なのか。たまに届くe-mailの文章は理路整然と洗練されていて、ときに感動すら覚える。実際に逢うときは、どうかなわからない。いろいろな彼がいる。でも生きた人間を目の前にすれば、さすがに電話やmailほど残酷にはならないみたい。わずかな人間らしさに触れて涙ぐんだりする。
それとは関係ないのだが、定年を来初夏に控えた父が最近メール機能付き携帯電話に変えた。今朝、ふと父に初おはようメールを入れてみた。5分とたたないうちに「母以外から初めてメールもらった うれしいーー 今日も一日がんばりませう」という返答が。こんなキャラだと思わなかったよ、お父さん。なんかこうもっと、厳格な感じの人なのかなーと。新たな一面を垣間見れてうれしい娘です。


今日は神田で取材。寝不足でぼけぼけした頭にこだまするのは商店街から流れてくる「本日限り、マレーシア製のプラダの皮財布3000円!現品限り!!」というアナウンス。ミラクル神田。銀座でぶらり途中下車して、教文館に行った。3階のキリスト教書籍コーナーへ。アビラのテレジアについて知りたいと思ったから。いくつか本があって、アビラのテレジアの概要は知ることができました。それにしても、すごいねー。キリスト教関係の書籍は、こんなにもあるんですねー。ヨーロッパに行く前にキリスト教のことも少し学んでおこう。「アビラのテレジアを訪ねて」みたいな文庫が出ていたのだけど、買うに至らなかったのは文章があまりおもしろくなくて、これは読むには厳しいと思ったから。テレジアはものすごく祈った人みたいです。いや、もうちょっとちゃんと知りましたよ。


昨日は退職する同僚の送別会を催した。6人で始まり、3人でカラオケに行き、最後は二人で終電までお茶をした。眠くて死にそうだったんだけど、私は意外に付き合いがいい。「sumikko さんは人間として基本的な部分がきちんとしている」ととてもうれしい褒め言葉をいただいた。人間として基本的な部分がきちんとしている・・・。

終電に乗り込み、最寄りの駅を出ると、雪だ。雪。道路も屋根も真っ白。その雪は重く質量感があって、梅雨の夜の雨が白く色づいたように思う。雪道を傘もささず歩く。とぽとぽと私に降り積もる雪は、花びらのよう。風に桜の花びらが散る様子が一瞬かすめたが、違う。もっとふっくらとした花びらだ。何かな。そうだ。木蓮。何回か前の3月の終わり、あの人と高く咲く木蓮の花を見上げた。裸の枝にランプのように白く、いくつもの木蓮のつぼみがついていた。それはほんのりと温かそうで、夕暮れになるにつれ冷気が降りてくる透明な路地裏で、私はそれをふんわりと両手で包んだら、どんなにか気持ちがいいだろうと思った。その人は、木蓮について何かを話してくれたけど、覚えていない。ただ、その声はとても心地良かった。
今宵降る雪はたぶんあの日の木蓮の花びら。頬に触れる雪は、雪ほど冷たくないと思う。ようやく、ようやく降ってきたのね。ハロー。